reflection

唐突に反省しました。
Twitterに気持ちが移ろってからキチンとした文章を書いていない。
このBlogも単なるログ倉庫と化している。
140文字以上を理路整然と書く能力がものすごく低下している。
つまり、どんどんバカになっている気がするわけですよ。

ヤダ!!! バカになるのはヤダ!!!

さらに、TLという比較的スピード感をもって流れてしまうTwitterのペースに呟こうとすると、文章を推敲することを怠けてしまい、すごく程度の低い文章を垂れ流している気がするわけですよ。なんだか今までに比べて誤字も多い気がするし。たしかにTwitter文化に於いてはそれで何ら問題ないわけですが、なんかそれはオレが元々「発信する」時に求めていた「気持ち良さ」とは異なっているんじゃないかと感じるようになっていたのが事実で。「排泄」に近い感じと言うか。あんまり他人に排泄物を見られたいモンじゃないわけですよ。それなりにTwitterでも自分なりに色んなコトを考えながら呟いていた訳ですが、140文字という制限内では色々と削ぎ落とされてしまうもの事実で。

言葉や文章って、リズムであり、メロディーだと思うわけです。
文章の下手な人、文章の上手な人、ホントにその違いは明確で、要するに歌のうまい人と音痴な人、それくらい読んでて気持ちよさが違うわけです。文字を目で追った時の気持ちよさ、脳内で文章を再生した時の気持ちよさ。大切です。

つい先日、Twitterで以前オレがやってた個人サイト「犬は吠えるがキャラバンは進む」を見ていてくれた人と繋がりました。ほぼ10年前ですが、あのころの自分の文章を読んでいてくれた人と再会できたことは嬉しかったし、何よりもその人がオレのサイトの事をいまだに記憶の中に留めていてくれたことが嬉しかった。あのころはほぼ毎日自分の日記として更新していた。文章も「読んでくれている人が居る」ことを前提に、どうやれば読みやすい文章になるか、心に残る文章になるか、なんてコトを考えながら時間かけて文章を書いてたんですよ。ホント、句読点の位置や、改行のタイミング、この単語の表記を漢字にするか、カタカナにするか、はたまた英語にするか、など。いーっぱい考えを巡らせながら書いてた。

当時は個人サイト黎明期で、他のサイトオーナーさんたちに負けたくないって思いもありましたなw。ホント当時を知ってる人は「わかるわかる」って頷いてもらえると思うんですけど、群雄割拠だったわけです。人気サイトにリンクしてもらえるのはホント光栄なコトだし、全国からBBSにコメントもらえるのは嬉しかった。
でも、そのために一生懸命がんばってたんですよ。何を?って、文章を。他のサイトオーナーさんにくらべてデザイン凝ったり、ホームページビルダー駆使するスキルがなかったもんで、そのぶん「コイツおもろい文章書くよなー」って興味を持ってもらう他なかったから。

んで、その頃の自分の文章を読み直してみたんですよ。
すげー、よく書けてるの。 自分で感心しちゃった。
もちろん音楽と同じで、文章も好き嫌いがあって当然だから、オレの文章を好きじゃない人もいるとは思うんだけど、それでも自分が好きな文章にはちゃんとなってる。「気持ちイイ文章」。過去の自分を褒めたくなってしまった。日々のコトや、くだらない価値観、映画や本などインプットしたメディアの感想、学校のコト、仕事のコト、話題も多岐に渡ってて「あ、オレすげーや」って素直に思った。
それに比べて今の自分はどうなんだ、と。つまんねー文章書くオッサンになってしまったなぁ、と。大反省。

自分のココロが「ま、それでもいーや。」と思わなかったコトをまずはアッパレを思いたい。キチンと反省できた、オレ。この歳になってもまだ「自分を変えよう」というモチベーションを内包していたよ。

と、いうことで、文章の練習も兼ねて、Twitterのログ倉庫となっていたこのBlogを細々と再会してみようかと。個人サイトを始めたあの頃のエネルギーには届かないとしても、また違う質のエネルギーを放出できるのではないかと。ここまで書いてみて、やっぱり文章書くのが下手になったなぁと思うもん。自分でも読みにくい。こりゃ、ちょっと本腰入れて自分の「言葉」と向き合うコトを始めなきゃな。

誰のためでもなく、自分のために。


自分にとって世の中の大切なモノを見ようとするなら、
自分自身がそれなりのコトバを持ってないと見つけられない。
「そこから、なにが見える?」
「光だって、闇だって、きっと。」

見えたものを、光を、闇を、伝えるには、コトバが、要る。