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タカラヅカの特番を見てて「超オモシレー!」と唸りました。
何がオモロイって、性差による"集団としての意識"や"組織としての仕組み"が感じ取れて非常にオモロイの。
 
タカラヅカは♀性の集団、ジャニーズは♂性の集団、どちらも同性に特化した集団ですが、どちらにも組織化された集団としてファン群が自然発生的に形成されているのは女性ファンのみだと思う。そういえば一時期のバンドブームのおっかけ軍団も、女性はグループとして組織化されていたような気がする。組織化された男性ファンは全くないわけではないが、極めて少数である。
 
何故、女性のファンは組織として群れるのか?
 
ファンの集団構造以外でも、主婦の公園デビュー、女子学生のツレション、宗教的カリスマに傾倒する女性信者の多さなど、女性は男性に比べて"集団"として群れることを好む傾向があるように思わざるを得ない。つまり、女性は集団への帰属欲求が強いと云うことだ。
 
ヒトは集団として組織を成した時から、"個"としての意識よりもさらに強力な意思、つまり"集団"としての意識が発生する。この"集団としての意思"は、非常に強大な力を持ってて、ときに宗教団体内部で起こる集団自殺なんかにも発展する可能性がある。つまりは集団ヒステリーのような、"個"としての感情を排除したもっと巨大な意思。
 
その"巨大な意思"とは何か?
 
生命体の根源には"種の存続"という行動原理があるのは事実。自らの種を後世に残す事は"本能"として遺伝子情報にインプットされており、その目的を果たす事が"個"として存在する意義なのだ。なお、有性生殖の生命体は決して"個体"では生殖することができない。つまり、♂と♀が揃ってこそ、その行動原理が実践される。この♂♀の"一対"つまり"2"と云う数は"集団"の最小単位である。つまり"個"は"集団"と成り得なければ、"個"としての存在意義さえ果たせないのだ。
 
と、云う事は、この"集団を形成しようとする意志の強さ"イコール、"種を存続しようとする意思の強さ"と考えられるのではないか。つまり、女性のほうが"種の保存"を強く願う生命体なのではないか。出産という、♂性ではとても耐えられないと痛みを耐える事ができるのも、その"種の保存欲求"が強い♀性だからこそ成し得るのではないか。
 
"流行"に対する敏感さも女性の方が鋭い。集団で同じ格好をすることにより、集団たる安心を得る為だ。基本的に"集団"とは、目に見えない"意識"上のつながりを指す。しかし、目に見えないものほど不安定なものはない。それを同じ姿かたちになることで同じ集団に属しているという事実を視覚的にも認識して、それをもって安心感につなげるのだ。それを思いながらTVを見ると、タカラヅカの女性ファンの方々は一様に同じ白い服を着ていた。
血液型占い、星座占いなどの類いが好きなのも明らかに男性より女性だ。占いとは、とどのつまり"統計"である。そして"統計"とは"集団の属性の指標"である。結局、自身がどの集団に属しているかを確かめ、安心を得る為のツールだ。
 
タカラヅカ歌劇団のお姉様方は、専門学校時代入学から歌劇団卒業まで、非常に強固な"集団"に属し、その中で生活していくことの美徳をステージ上で華やかに演出することで、見事に完結させて魅せている。生命体である"種"が"集団"として息づいている有様をショウとして魅せるのだ。それを同じく"集団"としての同性ファン群が見守り、同時に双方の集団としての存在意義を認めあう。つまり、ファンたちにとっては自分たちの遺伝子レベルでの存在意義を肯定されたに等しい。その完結された集団意識の中に"♂"は必要ない。"♀"のみで、自らの存在欲求を満たす事が出来るのだ。
 
このように考えていくと、♀にはもともと集団を形成するための遺伝子が組み込まれているとしか考えようが無い。
 
もし、とてつもなくマクロな視点で"種の存続"を考えた時に、このような集団が"♀"のみで成り立つように計算された上で遺伝子情報が作られているとしたら、そのうち生殖において"♂"が必要ではなくなる時が来るのかもしれない。ましてや、ソレ以前に"種の保存"に貢献できない我らゲイの存在意義ってなんじゃらホイ?って頭を傾げてしまう。
 
なーんてことをシミジミ考えながら、見事なまでに厚塗りされたタカラヅカジェンヌの顔をテレビのブラウン管越しに見ていたら、頭がずいぶんと疲労困憊した。