ハチクロはまんが道です

友達から借りて『ハチミツとクローバー』1巻〜9巻を一気読み。非常にオモロかったです。ただ、"恋愛モノ"としての評価ではなく、"下宿モノ"群像劇として。例えるならば『ツルモク独身寮』『めぞん一刻』『すいか』『風呂上がりの夜空に』『まんが道』。もともと少女マンガだからなのか、恋愛だけがクローズアップされがちだと思うのですが、同じ生活スペースを共有する個々のパーソナリティをより際立たせて浮き彫りにする為のスパイスとして"恋愛"が効いてる程度で、むしろそれ以外の部分にグッとキました。
どっちかって言うと、登場人物各々がそれぞれ芸術家として創作活動に勤しんでいるあたりのプロットは極めて『まんが道』に近い。こんな『ハチミツとクローバー』なんておセンチなタイトル付けるより、いっそのこと『ガーリーまんが道』っつータイトルのほうがオレ的にシックリきます。もっと極端に言えば、羽海野チカ藤子不二雄の後ろ姿を感じてしまいます。
下宿、大学、貧乏、卒業、就職、留年、モラトリアム。オレ的にはそーゆーテイストに切なさ満開なのです。特に「下宿」って設定。コンティニュー誌上で大槻ケンヂも書いてたんですが、まさにその通りで、この設定にはヤラれます。極めて野郎臭いこの「下宿」って設定をよくぞ少女マンガの世界に持ち込んだ!と、とりあえず絶賛。同じ時間や空気を共有しどんなに気を許し合った仲間でもいつかはココを出なくちゃならないという下宿。つまり読者はこの物語の「始まり」から既に「終焉」を予感しつつ登場人物とともに大学生活を送らざるを得ない。この「終わりの予感」は物語を読み進める上でも常に読者の心の何処かに燻り続ける為、それが切ない!とにかく切ない!
さらに物語の途中、主人公の中の一人の少年が突然自転車に飛び乗り日本縦断の自分探しの旅に出てしまう。コミックス約2巻分も彼は自転車を漕ぎ続ける。もうコレは完全に登場人物の「暴走」。サイクル野郎(荘司としお)かよ!ホれたハれたの恋愛模様を期待する読者はもちろん、作者の手をも完全に離れてる。少年マンガではよく見られるこの「登場人物の暴走」だが、少女マンガでは稀なのではないでしょうか?
オレ的にも片思いだの失恋だの、そーゆー登場人物全員がチマチマと恋愛という狭い井戸の中でもがいてる物語前半はちょっとウンザリしてましたが、大学卒業や就職難、それに伴うモラトリアムの終結、さらには自転車での自分探しの旅といった展開から俄然グイグイを惹き込まれたのですヨ。かく言うオレも20歳の頃に汗にまみれて自転車旅を決行した経験アリなので。
結局、オレにとってのこのハチクロの魅力ってのは世間一般に言われてる「片思いの切なさ」ではなく、「終わりの見えてる群像劇の切なさ」であり「モラトリアムから脱する切なさ」であるわけです。この魅力はそれなりの時間や物語のエピソードを重ねないと感じる事ができないテイストだと思うので、せいぜい2時間弱である映画版にはまったく興味が湧きません。多分ビデオになっても観ないんじゃないかなーと思ったりして。キャスティングは原作の雰囲気を見事に再現してて素晴らしいとは思うのですが。
やっぱりゲイとして生きてるオレにとって「恋愛の切なさ」を描いた作品では『ミルク』を越えるモノは今のところありません。「ハチクロ」も所詮はノンケの恋だもんね。感情移入するには、ちとキビしかった。
…ただ、ローマイヤ先輩はイケる。

ハチミツとクローバー 9 (クイーンズコミックス)

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