殺人事件がむすぶ絆

dogs2006-08-06

宮部みゆき原作/大林宣彦監督『理由』。 ある大嵐の夜、東京・荒川区にそびえ立つ超高層マンションで4人の男女が惨殺された。当初被害者たちはひとつの家族と思われていたが、捜査が進むにつれ、まったくの他人同士であったことが判明する。彼らはいったい何者なのか。加害者は誰なのか。そして関係者の証言が積み重なっていくうちに、驚くべき事実が明らかになる。悲しい絆が解き明かす、その「理由」とは?
 
うだるような暑さの中、日曜日の昼下がりネコと一緒に観ました。映像化不可能と言われた宮部みゆき直木賞ミリオンセラーを、大林宣彦監督が完全映画化。登場人物総勢107人による証言のみで物語が進行する社会派ミステリーで、次々に登場するキャストはみんな「役者ではなく人間を撮りたい」との大林宣彦監督の希望によりノーメイクで出演。結構な大物や大御所、若手なんかが出演してて観てて飽きません。大山のぶ代まで出てたのには驚きました。
そして映画全体として漂う『不快感』は本当に見事としか言いようがありません。基本的にこの160分という長編作品をダレることなく見せることができているのは、この「不快感」を巧みに利用して視聴者を映画の世界に引き込むことに成功しているから。特に殺人事件が起きた2025号室の徹底した描写。家具の隙き間、廊下の隅、扉の隙き間に作られる陰影など、この2025号室が写ると毎回この上ない不快感や不安感などザワザワとした感覚を覚える。意図的に監督が不快感を煽る撮り方をしているのは明らか。今にも「誰か」がその影や隙き間から出て来そうな不安感を常に視聴者は抱えながら「一体ここで殺されたのは誰なのか」「殺したのは誰なのか」と映画に引き込まれてしまいます。大林宣彦はこの殺人事件を通して「人間の絆」とかを撮りたかったらしいのですが、そんな絆とかって人道的なテーマよりも、この恐怖にも似た不快感のほうがよっぽどテーマとして映画全体に黒い覆いを被せている。それがとてつもなく見事。
 
あとエンディングで流れる「歌」のこの上ない不快感は絶品です。「殺人事件がむすぶ絆」というただ1つの歌詞とメロディーを延々と出演者が好き勝手に変拍子で「さ〜つ〜じ〜ん〜じ〜け〜ん〜が〜む〜す〜ぶ〜き〜ず〜な〜」と歌うこの曲。さながらゴブリンによる「サスペリア」のテーマソングが如し。気持ち悪い事この上ない。てゆーか、コワイ。下手なホラー映画1本観るよりこの曲を1分聴くほうがよっぽどコワイ。素晴らし過ぎる。カラオケに入ってないかしら。(歌う気か)
 
大林宣彦って尾道三部作とかのセンチメンタルなイメージが拭えませんが時々こーゆーの撮るのですね(漂流教室とか)。原作読んだ人とか映画自体に賛否両論みたいですが、オレは基本的に好きです。時間軸の交錯の仕方とか、ドキュメンタリー風なフィルムの質感とか。そしてこの徹底した「不安感」の増長演出が大好きです。いくらハリウッド進出とか言ったって清水崇とか全然メじゃない。昨今のホラーとか全然お子様だもん。これこそベテランの恐怖、大人のホラーだと思います。