〜2003-06-14:転載版

20030614SAT. inflammtion of the oral mucose

ついに
クスリに手を出してしまいました。
口内炎が限界なもので…。
イテテテテ…。

いまだに錠剤のめません。えづきます。




20030613FRI. top of SMAP

キムタクとマブダチになりました。夢の中で。とても気さくなナイス・ガイでした。岡山にいる友達の家に野菜を届けたいのだが、明日は番組の収録があるので、代わりに行って来てくれと、おつかいを頼まれました。携帯電話の番号交換もしました。

でも、キムタクの事はさっぱりイケません。

正夢?   なわけない。




20030612THU. jojo's bizarre adventure

なんだか、最近うちの掲示板でジョジョネタが流行ってますね。(ほんとにここはゲイ・サイトか?)オカマって、「スケバン刑事」だの「銀河鉄道999」だの「花のあすか組」だの、強い女が戦う漫画はめっぽう好きなのですが、意外に少年誌で連載されている「正義」「友情」「勝利」といったテーマの漫画には興味なかったりしますね。まぁ、俺もあんまり興味はないわけだが。

そんな中で昔っから好きだったのは荒木飛呂彦でした。「魔少年ビーティー」「バオー来訪者」そして「ジョジョの奇妙な冒険」。どれも大好き。当時、少年ジャンプ誌上では巻来功士(「ゴッド・サイダー」「メタルK」etc.)と共に、少年誌にしてはリアルすぎる暴力描写やスプラッターシーン連発で毎回巻末の方を暴走してましたが、「ジョジョ」に関しては、第3部で一般のコンセンサスを得られ、どんどん巻頭の方へ繰り上げられて行きました。「ジョジョ」の魅力と言えばやっぱり、有り得ないストーリー展開と、有り得ないセリフまわしと、有り得ない衣装デザインと、有り得ない肉体描写。もう、その突っ走り加減と言ったら半端ではないものを感じずにはいられません。当時の子供たちにとってはあまりに刺激的すぎて受け入れがたい印象の漫画であったことは事実です。だって、第1部なんか明らかに「ゾンビ」や「ナイト・オブ・リビングデッド」と言ったホラー映画へのオマージュに溢れていて、あんなもん小学生が読んで楽しいわけがないってくらいにグロテスクでエグかったですもんね。しかし、荒木飛呂彦自身は「付いて来れない奴は、いらない」とばかりにその迸る感性を緩めようとせず、独自の荒木ワールドを築いて行ってたので、そのインディペンデントなスタンスにも惹かれていました。
ここで、作品のストーリーとか紹介してもあんまり意味無いよーな気がするので、とりあえず「みんな読んでみ。めっちゃオモロイから!」としか言えません。
ふるえるぞハート! 燃えつきるほどヒート!!

桂正和も大好きでしたが。




20030611WED. he treats us to his homemade dish

ちょっと諸々の所用があり、一人で「三雅」に行って来ました。
全然、若専の店ではないのですが、岡山のゲイバーでは自分の店の次に好きです。実は8年振りくらいに行きました。マスターのイノさんには昔からかわいがってもらってて、今日もあまり長い時間いたわけではないのに、その短い間に次から次へと料理が出てくる出てくる。
 1品目:豚の角煮
 2品目:小芋の煮付け
 3品目:牛すじのポン酢あえ
 4品目:山菜の天ぷら
 5品目:ふきといかなごの佃煮
もぅ、これは一体何処の料亭かしら?ってくらい美味しいし。
てんぷらなんか、今日、山から採ってきたばかりの山菜を目の前であげてくれて、抹茶塩で食べさせてもらったんですが、ビックリするくらい旨かったです。あまりに「うまい。おいしい。」と食べていたので、「佃煮持って帰り」と言って、お土産までいただきました。
で、やっぱりワカ専の店とフケ専の店の「会話力」の違いを実感しました。フケ専の店って、色恋を抜きにした部分での普通の会話がとてもスムーズに交わされてるのですね。まったく初対面の人とでも。「自分の両親の墓石はいくらくらいのモノを買うのが妥当か」って話題で盛り上がってらしたみたいです。(まぁ、この話題自体、ワカ専の店では有り得ない話題ではあるが。)ワカ専の店でも、これくらいスムーズに会話をする力があれば、また違った楽しみ方を見つけられるんだろうな、と思いました。我々が、もっと見習わなければならない点の1つです。その為にも「自分たち(内側の人間)」がもっともっと頑張んなきゃ。
どうやら自分はフケ専の店の体質のようです。




20030610TUE. a stray dog

うちの近所で、のらコーギー発見しました。

コーギーも、のら犬になってしまう時代なんですね。(別に時代は関係ないか)
うちが一軒家だったら連れて帰って、普通に飼ってたと思います。
足短くて超ラブリー。でも柴犬のほうがダントツにカワイイ。




20030609MON. the world in a mirror

合わせ鏡をすると、13番目に未来の自分が映るって言うけど、
そこって、霊の通り道にもなるんだってさ。
お〜、コワ。

別に霊感とか、全然無いんスけどね…。




20030608SUN. is there anyone who will take his place?

4−1。

トルシエからジーコに代わって日本代表って弱くなった気がするのは俺だけ…?

まだまだこれから?




20030607SAT. return to their hometown in glory

出勤途中にいつもすれ違う5〜6人のフィリピン系女性たちがいます。一昔前のホステスさんが来ていたようなピンクやブルーや黄色のスーツを着て、身を寄せ合い、ただ黙々と歩いて行きます。小学生の女友達がするように手をつないでる場合もあります。でも、みんな一様に表情は硬く、うつむき加減で会話は一切ありません。

この異国の地で、身を寄せ合い、せめてもの仲間を慈しみ合うかのよう歩調を合わせ、夜の街に出勤していく彼女たちの胸にどんな想いがあるのか俺には測り知れませんが、彼女たちにとって、この国は決して手放しで楽しいと言える国では無い事が、その表情から汲み取ることができます。「ホステスなんて」と蔑みのニュアンスを含んだ発言をする人が一般には多いですが、彼女たちのあの表情を見ても、そんなこと言えるでしょうか?

職業に貴賎なんてない。




20030606FRI. i love my life

松田聖子の「瑠璃色の地球」に似てるとか、以前に書いてましたが、本人がフルコーラス歌ってるのを初めて聴きました、平井堅「LIFE is...」。めっちゃイイ曲ですね。なんだか、「スクラッチのノイズ音が余計だ」とか、「狙いすぎてる」とか、色々と酷評されてるようですが、おれは凄く純粋に良い曲だな〜と、思いました。特に歌詞が。平井堅で「歌詞が良い」と思ったのは今回が初めてかも、みたいな。歌詞中に出てくる「キミ」が、聴いてる俺自身にとっても、凄く愛おしい存在に聴こえてしまう。
久しぶりに歌を聴いて、涙ぐんでしまった。




20030605THU. a curative effect

心理治療の種類の一つに家族療法ってのがあります。その「家族療法」ってのは、心理的問題を呈する人を含む家族をひとつの単位に考え、その家族全体に対して治療的働きかけを行う心理療法。諸外国では、ボーエン(Bowen.M)や、サティア(Satir.V)、ミニューチン(Minuchin.S)なんかが有名で、この日本では鈴木浩二、岡堂哲雄、平木典子、国谷誠朗、亀口憲治たちが実際に治療に取り入れてやってる。
この「家族療法」は家族のホメオスタシスを活用する事が大前提となってんだよね。家族のホメオスタシスって、何のこっちゃ?って話だけど、つまり有機体に見られる平衡化現象が家族にもあるとする考え方で、家族一員の状態が改善されると、家族の他の構成員の状態も改善される。要するに、家族は1つの不変の状態を維持しようとする傾向がある、ってこと。簡単に言えば「家族って集合体は本来は正常な状態を保つ機能が備わっている。だから、その中にいる一人の問題分子を治療するためには、家族全体の治療が必要。」らしい。
でも、なんかこの治療法って嘘臭いよね〜。
そもそも「家族には本来、正常な状態を維持する機能が備わっている」って信念の上に治療が進められる事自体、「どうなん?」って感じ。そこんとこ、一番に疑ってかかんなくちゃいけないと思うんですが…。この「家族のホメオスタシス」は普遍性をもって全ての家族にあてはまる筈がないんじゃないの?さらに、「家族」の定義が凄く曖昧で難しいと思うんだけど。特に日本の場合、「結婚」って書類上は個人契約であっても、実際は「家」と「家」との契約だからさ、親類縁者い〜っぱいを含んだとても巨大な組織が形成されて、その中の歯車1つが狂うと、その巨大なシステム全てに影響が生じるわけで、とするとそのシステム全体に治療を施す必要が出てくるってことなんかな?大変じゃな〜い?
てか、もし俺がこのような心理療法を受けるとしてら、この「家族療法」だけは絶対イヤだ。家族とは言え、自分のパーソナルな問題に踏み込んでこられて、その問題解決のツールとして家族を使われるのはすっごく不快だし、その家族療法のセッションが終了したあとに、家族の関係性が良好なものになるとは限らないでしょ。赤の他人とはその関係性を断ち切ろうと思えば断ち切れるけど、家族の場合、断ち切りたくても断ち切れないまま、以前より苦しい立場に家族全体を追い込んでしまう恐れがある。そんな事を考えると、成功した場合よりも、失敗したときのリスクのようが断然大きいような気がするんですが…。
てな事を、レポート書きながら思ってました。




20030604TUE. Queen To The Dance Floor...Please

女王様御降臨。
「病棟の非常階段の扉を開けてみたら開いたから抜け出してきた」とのこと。
何やってんの。一体。
合計20分程の滞在時間だったけど、ショウくんが店の中にいるってだけで、あんなに雰囲気が変わるなんて、やっぱりあの人のカリスマ性は半端なものではないと改めて思いました。
この現場に遭遇できたお客さんはラッキーです。
ある意味、現在のオーブ究極のプレミアム・ナイトでした。

と・こ・ろ・で、全然ハナシは違うんですが、「所詮、越えられない壁」ってのはやっぱり存在するんですね。自分では越えられたと思っていても、実は何処かで無理が生じていたり、微妙な軋轢が存在していたり…。性別。年齢。職業。信念。宗教。国家。ミクロレベルなものからマクロレベルなものまで、その壁が存在する範疇は違っても個人が感じる「壁」は、どんなに抗ってみても、打ち消すことができないものなんだなぁと思いました。その「壁」に気付いていないうちはイイんですが、「無いものだと思っていた壁の存在に気付いた瞬間」は、”脱力感”や”絶望”や”諦め”と言ったどうしようもないネガティブなフィードバックとして自分に返ってくるんですね。
「他人に歩調を合わせる」ってこと自体がその「壁」の存在を無意識下で認識してるって事だもんね。よ〜く考えたら。




20030603TUE. words can't bring him down

多分、人生で一回あるか無いかってくらい特異なシチュエーションを体験してきました。俺的には、みんなのとてもちぐはぐなテンションがとても面白くて、めっちゃ楽しかったんですけどね。なのに、何故あんなに疲労感が残ったのかは不明ですが…。

で、それとはまったく別で、最近ワタクシ、ある人がとても大好きになりました。大好きって言うか、尊敬に値するくらいかも。6月1日の日記にもちょっと通じるんですが、自分の「痛み」を「痛み」として表現するんではなく、「笑い」に昇華してしまう事の出来る人ってマジすげーな思います。「負けたくない心意気」だけで虚勢張ってる薄っぺらい人よりも、「負けてあげる心意気」があるくらい器の大きな人って、人間として見習うべき点がたくさんあります。 俺にとっては。「負けてる」のか「負けてもらってる」のかって、周囲から見たら案外すぐ分かるもんです。「負けたくない」人って、自分の価値基準が「勝ち負け」でしか判断できない可哀想な人なのかもしれませんね。
自分の「痛み」を「笑い」に昇華できる人は「勝ち負け」の価値基準よりも、もっとたくさんのスケールを自分の中に持ってるんだと思う。それって、長〜い人生を送っていく上で、日々をより楽しく生きていく手段の重要な一つになるもんだし。で、そうやって日々を楽しく充実して生きてる人って、なんだか魅力的な人に見えちゃうしね。

 You are beautiful no matter what they say
 Words can't bring you down
 'Cause you are beautiful in every single way
 Yes words can't bring you down
 (CHRISTINA AGUILERA「beautiful」)

様々なテンションが混在した、なんとも摩訶不思議な一夜でした。




20030602MON. EMINEM

エミネムってめっちゃカッコイイですね。
ホモフォビアを公言して憚らないようですが、
そんなもん知ったこっちゃありません。
「イケる」と言ったもん勝ちだ。 ワーイ。
…ラップにはまーたく興味ありませんが。

映画には更に興味ありませんが。




20030601SUN. ability to understand a problem


簡単なことをあえて難しげに語って悦に入ってる人よりも、難しいことをサラッと簡単に言う事の出来る人のほうが、本当に頭の良い人なんだと思います。「頭良いふり」はバカでも出来ますが、「バカなふり」は頭の良い人でないと出来ません。
世の中、これの真実が見えなくて、騙されてる人は多いんじゃないでしょうか?
意味深ですか? んな事ないっスよね。