東京は空風の帰り道

ガッツリ笑顔で見送ろうと思っていたので、別れ際はしっかり笑顔で「いってらっしゃい」を言えましたが、いざひとりぽっちになって山手線に乗っているとどうしようもなく泣けて来て、人目を憚らずブザマな泣き顔を晒してしまいました。かわいげなアバクロのパーカー着た30過ぎのオッサンが吊り輪にぶらさがりながら嗚咽してる姿はホントみっともないとは思いましたが、こればかりは仕方ありません。
 
朝ごはんは一緒に吉牛を食べに行きました。
日曜日の汐留は人もまばらで呑気な感じでした。
心配していた雨もあがりました。
銀座まで歩いて行きました。
ドトールで交差点を見おろしながら笑ってました。
アップルストアに行きました。
不思議なエレベーターに躊躇しました。
歩行者天国が嬉しくて2人で道の真ん中を歩きました。
そのまま築地までポテポテと歩きました。
市場は日曜で閉まっていたので寂しげでした。
それでもおいしい海鮮ひつまぶしを食べました。
そのままグルリとまわってまた汐留まで歩きました。
フリスクをお土産に10個買って渡しました。
ホテルに預けていた荷物を受け取りました。
あとちょっとしか一緒に歩けません。
横を向けばすぐそこにある笑顔に会えるのは1年後。
泣きそうだったので、しっかり笑いました。
笑って笑って笑って笑って笑って、手を振りました。
元気で。ほんと元気でガンバってね。
歩き疲れて一人で入ったコンビニではミスチルの「空風の帰り道」が有線で流れてました。今のオレにとって完全にキラーソングだったようで、我慢してた涙が溢れてしまいました。次から次へと。(遠距離カップル必聴の隠れた名曲です。)泣きながらペットボトルのカルピスをレジに差し出し、一人で歩道を歩いて、一人で駅に入り、一人でホームに並び、一人で電車に乗りました。ガッツリ笑顔で見送ろうと思っていたので、別れ際はしっかり笑顔で「いってらっしゃい」を言えましたが、いざひとりぽっちになって山手線に乗っているとどうしようもなく泣けて来て、人目を憚らずブザマな泣き顔を晒してしまいました。かわいげなアバクロのパーカー着た30過ぎのオッサンが吊り輪にぶらさがりながら嗚咽してる姿はホントみっともないとは思いましたが、こればかりは仕方ありません。許してください。
旅立つその当日に家の玄関から出発するのは何となく寂しいから、前日から一緒に上京して東京で一泊してホテルから旅立つとその寂しさが多少でも紛らううのではないかと思ってたのでしたが、まったく逆でした。まるまる2日間一緒にいて別れを惜しむ時間がたっぷりあったので、お別れの瞬間までのカウントダウンが迫るにしたがって寂しさ倍増でした。これなら旅立つ当日にバタバタ忙しく家から出発したほうが寂しさ紛れたかもしれませんね。我らの目論見は大失敗です。
ケンチャンとお別れしてから空港へ行き岡山へ戻り帰宅したわけですが、その間ずっと無言。当たり前ですね。ひとりなんだもん。ケンチャンと別々に暮らすってのは、こーゆー事だ。玄関入っていつも通り出迎えてくれたネコがひとしきりオレの足にじゃれついた後、フと「あれ?一人ですか?ケンチャンはどこですか?」というような表情でオレの顔を見上げてました。動物って喋らないけど、本当に表情がある。「ケンチャンはまた1年間アメリカに行ったよ。また1年間一緒にお留守番だ。」と教えてあげました。
 
からっ風が吹いたから 少し手をつないで歩こうよ
花や草木に習い 僕らかるく揺れながら
昨夜見たテレビの中 病の子供が泣いていた
だからじゃないがこうしていられること感謝をしなくちゃな
今日の日が終わる また来週に会える
「さよなら」は悲しい響きだけど君とならば愛の言葉
 
悔やんでも 嘆いてても時間は過ぎてしまうから
花や草木に習い 僕ら黙って手を振ろう
今日の日が終わる また必ず会える
「さよなら」は悲しい響きだけど僕が言えば愛の言葉
からっ風が吹いたからポケットに手を入れて歩くよ
花や草木に習い 僕は向かい風をうけて
一人でバス停まで からっ風の帰り道